2010/06/07

2007年-北国初夏の旅(追想:後編)

『最終に道北-帰還までの旅です。
<9日目>2007/7/19(Thu)
北海道の道のりも終盤になり、この日当麻から話題の「旭山動物園」を経由して、サロマ湖へ向かう。
当麻を出発して、旭山動物園へは直ぐに到着、9:30-13:30 までゆっくりと見て廻ることになっている、9:30この段階で、入園券購入の行列ができていた、流石に有名になった動物園だけに人気である。子供連れが圧倒的に多いが大人のグループがかなりいるところからここの集客年齢層はかなり広い帯域をカバーしてと感じた。園内の展示はTVでも既に紹介が多いので省略、モットーは十分に周知されている、「動物の性質に則した行動展示式」。どの飼育舎も工夫されているので、動物達もリラックスしているように見える、実際リラックスし大抵の肉食系大型哺乳類は、暑さも相まって伸びていた。この動物園では、檻という言葉があまりしっくりこない。確かにゲージはある、ゲージ越に眺めて廻るという典型的な動物園の部分もあるが、人間の導線も三次元含めて立体的に飼育舎と絡めてある所が、他の動物園と違う最大のポイントだと思った。最近の水族館ではこの方式が多い、大阪海遊館、沖縄美ら海水族館、一つの水槽を色々な方向から上下して観れる。モデルが似ている。もう一つは、地元の傷ついた鳥達を保護しその状態のままでも敢えて公開している。なるほどと納得しながら一順した。大きな展示舎がやはり注目を浴びているが、一番気に入ったのは、北海道のフクロウ類のかわいらしい表情であった。
旭山動物園の自動販売機で販売されているお茶はメーカーとタイアップしてラベルに動物園のロゴが入っている、中身は市販品と同じだが、「旭山動物園限定品」である。
旭川からサロマ湖までは一路東へ殆ど道なりに4時間程掛かった。サロマ湖での宿泊先は、「サロマ湖鶴雅リゾート」ここはサロマ湖の東端に位置した高級そうなホテルである。室内に単眼鏡が置かれている。サロマ湖にやってくる野鳥を観る為に置かれたものだろう、日も沈みかけ鷺や鷹などが観察できる。サロマ湖の西対岸に沈んで行く夕日は、その場を離れたく無くする程の魅力がある。日没までシャッターを押し続けた。ここは、サロマ湖自体にも接しており夜の照明は、湖の砂地に松明が炊かれる。食事を終え、その炎は22時には消された。するとオホーツク海の水平線いっぱいに、満点の星が現れる。夜中3時頃に起きて、長時間露光で星空を撮影してみた、同心円上に星が弧を刻む、天文雑誌のようである。
サロマ湖の近辺は、高山植物に類する寒冷地でしか観れない植物の宝庫でもある、前日に早朝のサロマ湖をガイドしてくれる「ワッカネイチャー」というツアーを申し込んでいたので、朝食前にガイドに付いて自然保護区域へ入る。ここは自由に出入りできる区域ではないらしく、策で他のエリアと仕切られていた。サロマ湖自体が今は海と繋がっているが、昔は、海と湖を細い陸地が隔てていた。その細い地区だけに保護もしやすいのだと思う。植物の名前や性質などガイドが説明してくれたが、残念ながらもう思い出せない。小さな花々は画像データとなって記録されてるので、時間があれば調べてみようと思いながら、3年間放置している、勿体ない。そんな中の一枚の写真データ「鷹」の画像が、今の私のアイコンになっている。
走行距離189km 平均燃費29.6km/L
<10日目>2007/7/20(Fri)
 サロマ湖から一気に小樽へ移動する。稚内や釧路へも行って見たかったが、時間と資金が不足していた。小樽では、カミさん意向でガラス細工を調達することになっている。高速道路を使えば、想定していた時間より速めに到着した。小樽には、寿司屋なのに鶏の唐揚げが有名な「なると」という寿司屋がある。依然TVで見た事があったので、昼食に食べてみる事にした。唐揚げと行っても、鶏半身を丸揚げにしたものに巻き寿司のセットで出てくる。「デカ!」だがとても美味しくアッと言う間に胃袋に収まった、軟骨一つ残さずすべて頂きました。カミさんがガラス細工を物色している間、昨日の夜更かしと早朝ツアーから睡眠が足りていないので、宿泊先のベットに横になった。多分、起こされて、寝ぼけたまま夕飯に行った様なのだが疲れが溜まって居たらしい。画像データも無い、自宅用に小樽ワインが増えているが記憶が薄い、記憶自体がVTRをカットされた様に「無い」とも言える。小樽は最長の休憩地点となった。
走行距離361km 平均燃費24.2km/L
<11日目>2007/7/21(Sat)
 小樽から函館に戻る。天気も回復しているので、函館山にのぼり函館山からの日没と夜景を観る予定である。たっぷり充電したので、快調に南下し宿泊先にチェックインする。市内の中心部なので、函館山行きのバスで移動した。宿の人の話しでは、週末に自家用車で行くと大変な渋滞に合うらしい。駐車場に入れずUターンという結果もあるとの事なので、バスを使う方が良い。出発した時間が少し遅かったので日没前には間に合わなかったが、宵の街明かりから夜景へ変わる丁度良い時間に到着した。しかし到着した時点では、雲がかかりぼんやりとしか有名な夜景はみれない。ここは粘り強く待つしかないと決めた。しかし凄い人の数である、展望デッキは満員電車のようだ。諦めて帰る人、続々と上ってくる人が入れ替わり、徐々に展望デッキの先端に押されて行く、30分程待った時、雲が晴れ始めた。どよめきが起る「ワァー」、宝石箱のような函館の街が浮かび上がる。函館湾側にはナイトクルーズ船と思われる飾りの付いた船舶がゆっくりと移動している。函館空港側には、沢山の漁り火が見える、イカ釣り漁船のようだ、強烈な光が海の上に整然と並んでいる。日本三大夜景の2つ目を制覇した。
走行距離246km 平均燃費30.0km/L
<12日目>2007/7/22(Sun)
北海道とは今日でお別れである、この日は曇り少し夜の間に小雨が降ったようだ、市場の道が濡れている。函館の朝市で北海道最後の海鮮丼を朝食にして、函館港へ向かう。乗船する船は、来た時と同じ「ばにあ号」だった。乗船も2度目ともなれば手順も解ってスムーズである。9:30に出航し北海道を後にする。昨日上った函館山を背に青森港まで約4時間、この航海時は少し揺れがあった。カミさんは出航して間もなく船酔いになったらしい、殆ど動かなくなった。少し到着が遅れ13:45到着。青森に到着すると天気も良くなり、時折晴れ間も見える。さあこれから埼玉の自宅まで、ガソリンを満タンにして、東北自動車道を一気に南下する。東北自動車道は、青森-岩手間に少し秋田を通る。ここに一つだけPAがあり、一回目の休憩。比内地鶏のラーメンで遅めの昼食をとり岩手、宮城のSAの計3回の休憩を入れることになっている。走行距離を最も長く感じたのは福島県であった。ここでも休憩を入れれば良かったのかもしれない。この時、この車で一日に走行した最長記録は、未だに破られていない。埼玉の自宅に到着したのは、22時を少し過ぎた頃であった。事故もなく無事帰宅できた事に、感謝。旅の全行程が終了した。
走行距離685km 平均燃費23.1km/L

全移動距離3,726km。しかし北海道全域をカバーした訳ではない。飛行機+レンタカーの方が多分安上がりかもしれないが、車とフェリーという旅も味が有ってとても良いものであった。特に北海道という広大な大地では、自分の車で移動できる事で得られる自由度や開放感は、何者にも代え難い所がある。リタイヤした人が良くキャンピングカーを購入する話しを聞くが何となく分かるような気がする。この旅では北海道を十の字に廻ったが機会があればソーラーカーの旅の様に外周というのも有りかも知れない。』

以上、2007年の北国初夏の旅、追想でした。

2010/06/06

2007年-北国初夏の旅(追想:中編)

『旅の中盤、道南、道央の旅の記録
<5日目>2007/7/15(Sun)
昨日と同じホテルで同じく集合し、札幌をハブとしたドライブ旅行2日目。40歳を越えると旅につきものとなのは、「温泉」と相場が決まっている。この日は登別温泉へ日帰りで行く事になった。
札幌から南下し支笏湖湖を眺めながら登別へ向かう、山中の舗装道路は非常に道もよく日曜日なのに車も少ない。途中苫小牧から高速道に乗り換え登別までは一直線に行く事ができる。
カーナビの力は偉大である、到着予定時間もルートのほぼ正確に案内してくれる、前日にGAZOO.comでポイント設定しておけば、携帯からナビに走行計画を取り込める機能は、この旅には必須の機能となっていた。
登別温泉は、大湯沼という所を中心にした露出温泉の源泉をみる事が出来る。源泉地は、その山肌から湯気が立ち上り回りの緑深い木々を一部剥がした採掘現場のようにも見るが、漂う硫黄の匂いとむき出しの大地からボコボコと沸き上がる白濁した温水が自然の産物であるという事を主張している。公園になっている源泉地は、山々に囲まれた谷にあり、山中の遊歩道にまで上らなければ、1時間程でひと通り見る事ができる。何処にでもある事だが景勝地に硬貨を置いていく人がいる、そして硬貨は定期的に回収され施設の運営費に廻っていたりするものである、しかしここではそれは出来ない様子だ。全ての金属類は、温泉成分と反応し、真っ黒になっている。長期間置かれたらしいその物には、枝珊瑚のような部分白い突起が無数に出ている。
近くのホテルは、日帰り入浴が可能で、しばし温泉休憩タイムとなった、登別温泉はその源泉にも幾つかの異なった泉質があるらしく、硫黄泉、重曹泉、単純泉と湯船に書かれてる。自宅埼玉にも天然温泉はあるが大抵は、地下深く掘削して加温した食塩泉だが、ここはやはり昔ながらの温泉地だけあってかなり楽しめる。泉質の違いが比較できるので中々興味深い。
温泉で休憩を取り過ぎたか少し時間が押して来た。本当なら少し天候が良くなって来たので、洞爺湖まで再チャレンジしようかと計画していたが、友人の一人の帰京の飛行機の時間に間に合わなくなる。新千歳へ直行。その後札幌へ帰還し温泉ツアーの一日が終わった。
一人掛けて少し寂しくなったが、札幌の居酒屋で夕食で思わぬ食材に出会った、「八角」という魚である。当時は道内程度しか流通していなかったのか、埼玉ではお目にかかった事が無かった。「北国のフグ」とも言われ姿はチョウザメを小さくした深海魚だが白身で淡白な味わいは確かに似ている。最近では関東地域でも入手できる、一年程前に再会したので、丸ままで買って裁いてみたが半端なくこれが難しい、お勧めは店舗で三枚まで下ろしてもらった方がいい逸品である。
走行距離250km 平均燃費20.6km/L *プリウスは、高速道路を多用すると燃費が落ちる。理由は70km以上の速度では、常にエンジンが掛かって滑空走行ができなくなってしまうからだ。
<6日目>2007/7/16(Mon)
この旅も後半戦に入り、札幌をハブとした滞在型から移動型に行程を転換する。この日は、夕張を経由して十勝の牧畜エリアに向かう。
7月は、夕張メロンの旬なのだろうか、夕張に入ったらやたらとメロンの直売所の看板がある。少し広めのJAが経営している直売所で、土産もの用のメロンを実家に送り、これからの夜のデザート用にメロンを3玉購入した。値段は安いやはり地元価格である、等級の見方を詳しく店員が説明してくれたが、自分で食する分はそれほど贅沢もしなくて良いので、匂いだけで選んだ。北海道在住の子は、仕事先から一日休暇を貰って帯広の同じ宿泊先に一泊する予定である。メロンを積み込み、お勧めポイントの足寄町「ラワンブキ(ふき)の林」「オンネトー」を経由し十勝川温泉エリアに戻ってくる遠征ルートとなった。宿泊先に到着するまで車内は、常にここで積み込んだメロンの匂いで充満していた。
夕張から十勝方面へ向かうには、日勝峠を越えなければならない、この日から天気は快晴、紫外線が刺すような好天になったが、この峠越えだけは事情が違った。一合目〜七合目あたり間では快調な状態だったが、峠の頂上に近づくにつれて雲の中に入っていくような天候になる。八合目から先はヘッドライトが必要になる、濃霧と小雨の中前方視界は10m程に感じる。ところが峠越えた途端にまた晴天に戻る。それだけ標高が高かったのだと思うが、山を嘗めたら怖いという事を車の中からであるが実感した。
峠越えで少し時間をロスしてしまったので、急ぎ足寄へ向かう。ここに「ラワンブキ」という人の背丈より大きく傘の様な蕗が自生しているところがある、少し天候が悪い日が続いていたので、大人用とまでは行かないが、子供用にはなる程の蕗には出会う事ができた。コロボックルがで出来そうな、自然豊かなところである。次は「オンネトー」ここはオンネトー湖の湖畔であるただの湖畔だが、美しい・・・。まるで絵画のような造形である。天気の関係もあるが、洞爺湖、支笏湖と見て来たなかでここが一番絵になると感じた。阿寒富士を背景に鏡の様な水面、それと静寂。自然と写真の枚数が増えて行くが、やはり実物の色彩は再現できない。もし足寄に行く機会のある人は是非立ち寄る価値があると思う。
時間が圧してしまっていたので、後ろ髪を引かれつつ、十勝方面に戻る。十勝には、最終目的の「十勝ワイン城」で十勝ビーフを食べるという使命が残されている。日も沈み、閉館時間ギリギリ到着し北海道に入って初めての肉料理であった。この十勝ワイン城は、ワインの製造販売が主目的らしいが、併設しているレストランの眺望と十勝牛の料理がとても良い。時間も遅かったので、客も無く十勝の街を一望できる大窓から貸し切りでのディナータイムとなった。ビーフと合わせるなら折角ならご当地十勝ワインを頂きたい、「十勝アムレンシス」というワインを頼みビーフプレートで至福の食事を終えた。
さあこれからが大変だった、十勝ワイン城から宿泊先までの間、ワインに浸った私は、運転をカミさんに委ねることになった。下り道の高々15km程であったが酔いも覚める。19時を過ぎ車も人も疎らであった事が不幸中の幸いであった。ホテルの駐車場までは何とか自分で入れたが、私が外に出て誘導する・・車庫入れができないらしい。5-6回切り返し何度か轢かれそうになった。
宿泊先は、「北海道ホテル」結構老舗ホテルのようで、サービスが行き届いていた。昼間買ったメロンを食べようと思ったが考えてみればナイフが無い。旅にはナイフは必須である、沖縄ならダイビングナイフで代用する所だが、機材はない。仕方なくフロントにナイフを借りれないか聞いてみたがまあ当然ながら駄目。事情を話すとメロンを持って来こいと言われたので切るだけ切って貰えればと手渡して部屋に戻ると、10分もしないうちにルームサービスが来た、頼んだ覚えはないがメロンを持って来たというので、お礼を言ってサービス係の方に入って貰った。ワゴンに大きな金属のドーム、豪華な装飾の皿の上に綺麗に飾り切りされ8当分されたメロンがのっている。「これホテルのルームサービスで頼んだら1万円はするよな」という立派な料理になって帰ってきた。翌日のチェックアウト時、調理料金が入っていないので、訪ねたところ「お客様へのサービスです、またのご利用をお待ちしております」との事、恐れ入りました。老舗のホテルでも活況なところはこの様な「ナイフを貸せない」で済まさない気遣いとフロント+厨房の連係プレーがあるのだと再認識させられた。
もう一つ「北海道ホテル」には、世界に2つしかない「モール温泉」という特殊な温泉がある。この温泉は、石油になる前の段階で珪藻類が堆積して圧縮された地層から出る温泉で深緑色をした独特の湯である。普通の温泉とは全く異なり非常に柔らかい、重曹泉の滑りは重曹で皮膚の表面を剥がすような仕掛けになるが、ここでは、お湯自体はさっぱりとした柔らかさがお湯から与えられるように感じる。温泉が好きな方は是非チェックしてみてはと思う。
走行距離431km 平均燃費24.2km/L
<7日目>2007/7/17(Tsu)
十勝から北上し、冬場お世話になる富良野方面へ移動する、宿泊先は写真でしかみた事のない美瑛である。
天気は快晴、十勝には、北海道土産の定番「マルセイのバターサンド」で有名な、六花亭の本店がある。朝その本店でスィーツを買い付けて一路富良野へ。十勝を出ると風景は一変する。麦、蕎麦、ジャガイモ、コーンの畑が延々と続く、道もほぼ直線。
昨日の失態から少し、練習の為、カミさんに運転してもらったが、カーブも交差点も信号も無いから何の練習にもならないが、アクセルとブレーキの踏み具合を覚えたらしい。無理な[G]を感じなくなった。
昼食に、十勝は蕎麦も特産品らしく、十割蕎麦の看板がいくつもある。北海道在住の子のお勧めの蕎麦屋で昼食をすませ、冬場よく通った記憶のある看板の道に出た。もうじき富良野である。丘陵地が続きどんどん小麦色のグラデーションの風景が広がってくる。少し町に入ったかと思うと、直に「北の峰ゴンドラのターミナル」に到着した。夏のスキー場は、なにかゴルフ場の斜度を急勾配にしたようにも見える。滑走コースは一面の芝で緑がまぶしく、木々は葉延ばし森のように見える。冬の落葉して雪を被った風景とは、全く違う。
暑い、7月なのだから当然でだが、日差しが照りつける内陸部は、乾燥した暑さがある。麦畑や牧草地がなければ、もっと厳しい暑さになる事は、駐車場に入る度に感じた。富良野でのチェックポイントは、「富良野デリス」というプリン屋になっていた、朝からスィーツ三昧である。多数決で決定済みであった。富良野デリスの駐車場から大雪山がとても良いロケーションで観れる、お菓子の買い物には同行せず、3脚を使って、写真撮影の時間に当てた。雲が流れ刻々と変わる風景を同じように取り続ける、後で観てみると動画のような大量のデータが残された。
ここからは美瑛の丘陵地を巡り、JR美瑛駅で北海道在住の子と分かれる事になっている。美瑛の丘は、波がうねる様に連なり、小麦、ジャガイモ、コーンの他ラベンダー等の花の帯が幾重にも重なりあいおとぎ話の中に出てきそうなくらい、彩り鮮やかである。脇見運転はできないので、散在する展望公園に立寄り、デジカメにおさめた。しかし実物の切れ端でしかない、360度錦の波の中に居る感覚は関東では決して体験できない広大な大地と人の手による開拓の賜物である。
無事、友人が帰るのを見届け、この日の宿泊地は、美瑛のペンションである。
走行距離239km 平均燃費28.0km/L
<8日日>2007/7/18(Wed)
埼玉を出て一週間が経過した、北海道の中央部に居る。この日の行程は、「富田ファーム」というラベンダー製品で有名な農園散策し、次の宿泊地、当麻までの行程である。
ペンションの人によると、7月は調度ラベンダーが満開の時期で、昼間に行くと平日でも人だらけで風景を楽しむには向かない、出来るだけ早朝に行って農園の売店などが開店する前の方が良いとの情報を前日の夕食時に得ていた。朝6時に起床し朝食前に一走りして農園に入ってみた何時に開園なのかは分からないが、開門されて入園料もなく散策範囲は自由に行動する事ができる。この時初めて前日のアドバイスの意味がわかった、まだ7時前だというのに、もう写真のフレームに人が映らないことが無い、多分相手側も同じ事を考えているのだと思うが誰も花の迷路だけをフレームに納めたいという気持ちなのだろう、ウロウロしながら花畑を移動する。朝霧が少し掛かったのかもしれないが、その日は湿度が高くラベンダーオイルをたらした時の様に虫も落ちそうな芳香に包まれている。生のアロマセラピーである。ラベンダーも複数の種類があり、微妙に香りが違う。また、花の色や咲き方も様々で、各ラベンダーの種類が交雑しない様にする為か、他の花々の列がラベンダーの列を隔てるように植えられている。ここも丘陵地なので、うねる様な花の波間にいる感覚である。ラベンダーの花以外はまだ五分咲きという感じであったのが残念ではあったが、早朝のアロマセラピーはとても贅沢なひと時である。
富良野-美瑛一帯は、ランドスケープの宝庫だ、当麻までの距離は30kmにも満たないが、北の大地:北海道を象徴する景勝地の銀座である。遊覧ヘリが舞い、遠くには熱気球らしきものも見える。多分上空から「鳥の目」で見れば連なる丘陵にパッチワークを施したように見えるのだろう。こちらは「蟻の目」で散在するポイントを点々と歩き回った。この日の走行距離は、もしかすると車より徒歩の方が多かったかもしれない。
走行距離49km 平均燃費29.5km/L 100km以下の走行距離は、この旅最短であった。

2010/06/05

2007年-北国初夏の旅(追想:前編)

Twitterで問い合わせがあったので、記憶してる範囲ですが、3年前の北国の初夏旅行記を書いてみます。
もし、今夏、北海道へ行かれる方参考になれば幸いです。

『もう3年も前の話になるが、初めて車を買ったので、少し遠出してみたい衝動が起った。2007年7月慣し運転も兼ねて自宅埼玉から北海道までのマイカー旅行を計画した。
何故に「北海道」となったのかというと理由は3つ、一つ目は「一度、車でフェリーに乗ってみたかった」二つ目は、「函館のスルメイカ旬で是非活け造りを食べたかった」三つ目は「カミさんの友達が北海道に住んでいて、その友達と一緒にNACSの追いかけをやっている子が、調度、北海道で行われる公演に合わせて札幌に行く予定。カミさんとその二人は親しいがあまり3人一緒になれる機会がない。ならタイミングを合わせて車で移動すれば、私が運転手にされる」という事にあった。
北海道には、90年代から毎年スキーに行く事はあっても、夏場に行った事がない。富良野のラベンダー畑の美しい景観は、スナップ写真でホテルに飾られている範囲でしか見た事が無かった。本来の目的がスキーなので、空港ーバスーホテルのルートのみで北海道の魅力を満喫しているかと言われれば、答えはNOである。スキー場の雪質やホテルから歩いてゲレンデに出られる便利さは、主目的として必要十分なので常に満足はしていたが、ホテルの食事では3日もすれば飽きも来る。しかし、冬の北海道のあの雪道を無難に運転できる自信は無い。
行程大枠については、私が走行時間と休憩宿泊ポイントを計算し訴状を作製した、しかし後の宿泊先や食事、周遊ポイントの詳細決定権は、私にはない。今回移動手段として「フェリー」を使うのでその予約以外は全てカミさんの計画表に従って行動する事になった。
<出発>2007/7/11(Wed)
自宅から東北自動車久喜ICまで20分程度。一日目の目標は、東北道を北上し宮城県松島を目指す。関西出身の私としては、日本三景の一つ「松島」は最後に残された景勝地の一つ。子供の頃の記憶で推察すると大抵言われるほど感動するものではないと思っていたが、予想通り芭蕉が感嘆した程の絶景ではなかった(残念)。曇りであった天気の為かもしれないが、大小いくつもの小さな島々と奇岩の織り成す風景は、日本の庭園に水を張ったような光景である。海岸から見た風景だけでは全容はみれないので周遊船に乗り、一回りしてみる事にした。
周遊船に乗ると当然ながら海側から見みる事ができる。リアス式の海岸の中を縫う様にして船が移動し、海に浮かぶ盆栽のような島々を巡る。・・・ウミネコと共に。このウミネコが後々悲劇をもたらすのであるが、ものすごい数、観光船から乗客が「カッパえびせん」のような菓子をまくので完全に餌付けされている。一つ掴み投げ上げると、海面に一片の残りもなくその大群の中で吸い込まれてします。鳥の動体視力と俊敏性は本当の凄い。そんな事に気を取られていると周遊船は同じ港に戻ってきてしまう。石巻の対岸の風景は、やはり芭蕉の時代とは違ってコンビナートが立ち並び、風流とは言えるものでは無かったが、いくつあるかも解らない小さな海の上の盆栽は自然の造形として景勝地と言うに値するものだろうと感じた。盆栽好きの方には、お勧めであると思う。
そして下船するときに悲劇が起っていた。カミさんのお気に入りの帽子に、ウミネコの落とし物が・・・・。多分彼女の思い出には、この後始末が強く刷り込まれてしまったのは間違いない。
1日目の行程は無理せず、松島から気仙沼の漁港でフカヒレラーメンの昼食をとり、仙台で一泊する事になっている。仙台は、やはり東北一の都会。自分の自宅近辺より遥かに近代的で整備されている。
20歳代の頃、出張で仙台には一度来た事がある。その時一番印象にあったのは、黒塗りのクラシカル大きめのワーゲンのような丸みを帯びたボディのタクシーが沢山あった事であった。車種などは覚えていないが、電球色の街灯にその黒いタクシーの姿が何とも言えずお洒落な感じで止まっていた。しかし、今回はまあその時代から20年以上経過しているから再会する事はできなかった。 仙台名物タン塩定食を夕飯にそんな事を思い出して、初日は終了。
走行距離368km 平均燃費異26.3km/L 燃費まで正確に出るのは、私がプリウス20型ユーザーであり、納車からの走行距離と平均燃費、目的地それと合わせて全ての給油量とガソリン価格を記録しているからである。
<2日目>2007/7/12(Thu)
仙台から再び、東北自動車道に乗り真直ぐ青森の最終地点へ。終点の青森からフェリー乗り場までは、非常に行きやすい。
乗船するフェリーは、「東日本フェリー:ばにあ号」かなり古い船のようであった。以外に感じたのは、フェリー乗り場が新築になっている事であった。これは、次期高速フェリー「なっちゃんレナ」の為に、空港の様なブローディングポートを持った最新の設備に改築途上にである為であった。もしこの旅は数ヶ月後であれば最新型の高速艇に乗れた筈だったがそれは永遠に叶わぬ夢になってしまった。
「なっちゃんレナ」は旧来のフェリーで3〜4時間掛かった、青森〜函館間を約半分に短縮し、ファーストクラスを備えた「双胴船」。しかし、運行開始し直ぐに原油高騰の波を受け運行停止となり、幻の高速船になってしまった。このおかげなのかどうか解らないが、チケット発行は、インターネットで予約してバーコード印刷したものをスキャンするチェックイン機が3台あり、まるで空港のようである。
出航までの待ち時間、乗り場の売店で総菜の昼食をとった。これが非常に旨い。飲食店も幾つかあったのだが、手作りっぽい総菜が色々と保冷棚に並んでおり、各300〜350円である。大きなカレイの煮付けご飯をつけて500円也。
 さて、実際に乗ってみた車両フェリーはというと、「動く立体駐車場」という表現が一番ぴったり来ると思う。フェリー後部の車両入り口のゲートから車で乗船し、多分予約時に、車種の仕様を細かく指定するので、配置のバランスを計算して事前にナンバープレートで確認しているのであろう誘導員に指示されるまま2階の駐車スペースまで通される。駐車が完了すると、車止めだけでその他固定設備らしきワイヤーなどは特に行われず、必要な物は全て客室に持っていく様に指示された。出航すると駐車区画には立ち入れない規則である。
ここから約4時間、最初の30分程は、船内を見学してまわったり、廻りの風景を写真におさめたりと動き回っていたが、下北半島を右にみて延々風景は変わらず二等船室でごろ寝することにした。波は穏やかで揺れもなく電車や飛行機に比べ寝転んでいられる分、非常に楽で休憩には持ってこいの時間である。不眠症だがいつの間にか眠りに落ちてしましった。
到着の放送がながれた。窓からは、函館の港が見える、十分に休憩したが今日の運転はもう函館市内の宿泊先までのわずかな距離である。駐車区画に戻り、動く立体駐車場から走り出すと北海道の地、心無しか少し涼しく感じた。
これは今日時点(2010/6/5)の情報であるが、私の乗った東日本フェリーは運行を取りやめ、津軽海峡フェリーとなっているらしい。また、幻となった「なっちゃんレナ」は、期間限定で「ナッチャンWorld」として2010/7/17-10/31復活するらしい。私の乗った「ばにあ号」はインドネシアに売却されて今はもうない、しかし、なっちゃんは売却されてなかったらしい。
因みになっちゃん号型の双胴船は、沖縄那覇軍港にいつも停泊している、米国艦船と同じボディ構造、船マニアなら是非乗ってみる価値はあると思う。
宿泊先に到着して少し荷物の整理をしてから。函館の目的「活イカ」を求め、日が落ち始める頃、路面電車に揺られてえ函館市内へ移動。カミさん指定の居酒屋で待望の「活イカ」の刺身にありついた。手早い調理で水槽からものの1分も掛からず盛りつけられる。胴は透明なままの刺身に、頭はゲソ一緒に出される。肝も刺身となり、付け醤油に解いてもよし、そのまま刺身として食してもよい。絶品である。イカがこれほど旨いと思った事が無かった。
しばらく食事をしていてふとイカに目をやると頭の部分から、緑色の液体がしみ出している。新鮮なものはこうなのかなぁと思いゲソを食しに掛かってからこの緑が何名なのか解った。ゲソの下に置かれたパセリを調理されたゲソがかじっていたのである。それほど元気な刺身、有り難く最後まで頂戴した。
走行距離398km 平均燃費24.0km/L
<3日目>2007/7/13(Fri)
函館から札幌をめざして移動開始。
その前に、折角なので函館の朝市で朝食をとる事にした。平日の朝なのに、観光客も多い。朝から海鮮丼とは贅沢な話しであるが、主食より鮮魚店の「活ウニ」のほうが旨かった。大降りのムラサキウニを生きたまま置いている、これを1個350円で買いその場で店主にハサミを入れて開けてもらう、何の味付けもなしに食べるだけ、塩味は元々の海水のみ、あまく全く磯臭くない最高である。
函館と言えば五稜郭。展望台に上って土方歳三の銅像やら五稜郭の全景なをを眺め、昼食用に函館名物のハッピーピエロのハンバーガーをテイクアウトする。先ずは、大沼国立公園を目指す、新日本三景とあるが、この手の何とか三景は日本に一体いくつくらいのものがあるのか、名乗るだけなら自由だと思うが少し多すぎるように思う。到着すると修学旅行の団体に巻き込まれてしまった。
ここも曇りで、本当なら駒ヶ岳が見える湖畔を期待したが見えず、総じてこの旅、前半戦は天気に恵まれなかった。北海道にも梅雨が起るようなったのかもしれないと感じながら、散策してみた。大沼公園は広く、とても静かなところである。曇ってはいるが空気もよく一日中ボーッとしていたいような穏やかさを感じる。
今日中には、札幌に到着しなければならないので、大沼公園から次は洞爺湖へ。サミットの行われたところである。ここも絶景の筈なのだが、小雨が降るなかサホロ展望台からから洞爺湖を望む。全景は見れないが、確かにカルデラ湖である事が解る。ここでは、中国からの観光客と遭遇、一眼レフのカメラを持っていたせいか、何組もの人にカメラマンを頼まれた言葉は通じないがジェスチャーだけで要望は解るものなんだと実感した。
遊覧ヘリがある様子だが、この日は動いていなかった。まあこの雨雲の中では何も見えないし危険だから当然か・・・。
札幌までは快適なドライブである。しかし、札幌市内に入った途端帰宅ラッシュの渋滞に巻き込まれながら札幌の宿泊先へ到着。カミさんが明日合流する友人達と連絡を取っている。少し渋滞疲れもあったので、ホテルで軽く夕食をすませ就寝。
走行距離275km 平均燃費28.3Km/L
<4日目>2007/7/14(Sat)
宿泊先のホテルのロビーで、2名の到着を待ち、4名で余市のウィスキー工場の見学→さくらんぼ狩り→神威崎→札幌の予定である。
札幌市街を後にして北上、余市のニッカウィスキーの工場に到着。ここは来た価値が十分にあった、自分が酒飲みだったからかもしれないが、発酵から熟成まですべての行程が見れる。また工場自体見学ルートはあるが、出入り自由である。生産ラインに直移関わる場所へは流石には立ち入れないようになっているが基本的に自由行動で制限がない。展示も工夫されていて、実際に作業している人と会話する事も可能、工場内も非常に整備されており一つのテーマパークの様である。しかも入場料はかからない。
願わくば試飲コーナーでのみ比べなどやりたかったー!これだけは悔いが残る。今度は絶対バスで来よう、絶対。この余韻が溜まらず、札幌に戻ってからウィスキーを買いにいってしまった事は当然の結果である。
余市近辺はこの時期さくらんぼが旬のようで、そこここに、さくらんぼ狩りの看板がある、北海道在住の子のお勧めで「さくらんぼ山」という農園でさくらんぼを食べまくる事にした。入園と同時にバケツを手渡されたので、「あー種入れね」と思い込んだがちょっとそれにしては大きい。3Lは入る大きさである、「なんぼ何でもそんなに食えないわな」とひたすら坂道をのぼりおりしながら数種類の木を物色しつつ食べまくる。人生でさくらんぼで満腹になるのはこれが最初で多分最後かもしれないが・・・。
小さな山の斜面に植樹されている為、結構な運動と共に摘果する。なので、自分の想像よりも食べられる。バケツの底に、2センチ程に種が溜まる頃、満腹になった。皆同じ様子なので、下山しバケツを返却。すると「あれサクランボ取らなかったの?種は、その辺に捨てていいのよ」と聞かされ自体がようやく把握できた。先に渡されたバケツは、サクランボ自体を持ち帰る為に渡されたれた計量バケツだったのだ、持ち帰る許容量がバケツの量でその場で食べるのは食べれるだけどうぞというシステムらしい。確かに帰りに入り口の説明書きには、鞄など持ち込み禁止とあり小さい案内パンフレットの様な紙にルールが書かれていた。
食欲に負けて、ちゃんとシステムを理解していなかった失策である。 親切に出口の係員さんが、「よかったらこのビニールに入ってる分持って帰りなさい」と50個程入った袋をくれた。これが、札幌滞在中の夜のデザートになる。
サクランボで満腹になっても、ほぼ水分。神威崎に到着する頃には、平常になっていた。神威崎は、積丹半島の先端部分にある断崖の岬である。駐車上から2-3km徒歩で半島の尾根を上り下りしながら「カムイ岩」の見える先端まで、左右にシャコタンブルーと言われる北の国特有の真っ青な海を下界に見ながら進む。夕日が沈む光景は、とても綺麗らしいが日没まで居ては札幌まで帰れないので、夕日は諦めた。南国の海はエメラルドブルー、少し緑が入った翡翠のようで「碧」という文字がぴったりと合うが、北国の自然の海がこれほど綺麗な「青」「群青」であるいう事は初めて認識した。写真では表現できない深い青である。
ダイバー魂をそそられるが、今回の旅にはライセンスカードも機材も持って来なかったので、その海中の様子を伺い知ることはできない。できるなら海側からも楽しみたいと思わせるに十分な魅力があった。
走行距離235km 平均燃費26.7km/L』

2010/06/03

iPad考:(2)ノートPCは終焉の評価が多いが・・・

iPadが発売されて、そろそろ2週間になる。IT関連の情報サイトで「もうノートPCを使う必要はない」「ノートPCを売却してiPadに乗り換えよう」というマニアな意見を散見する。
確かに、ノートPCより優位性のある部位分が多い事は事実である。使ってみた自分の雑記録として一覧にしてみた。
「iPadの優位性」
1.バッテリーが半端なく長時間使用に耐える。
2.インターフェースタッチ式である為、直感的に使いやすい。
3.デザイン性が高く、表示機能も美しい。
4.64GBもの容量があれば、大抵の情報は持ち歩ける。
5.アプリで機能を拡張して可能性が未知数なまでに広がる。
しかし、多分、私はノートPCを使う必然性が必ず残ると思う派である。最も大きな理由は、Appleの閉鎖性にある。ノートPCの方が優位だと感じる点も上げてみたい。
「ノートPCの優位性」
1.キーボード一体型である方が、結局コンパクトになる。 vs iPad至宝者はBlueToothキーボードを別持ちするらしい。
2.プログラミング環境や製造ツールを持ってあるけない。 vs そもそも必要ないと言われるかもしれないが・・
3.外部インターフェースが接続できない。SDカードUSBコネクターが無いと旅行先で写真も保存しておけない。
4.HDDではあるが、容量の桁が違う。
5.いざとなれば、大抵プログラム作製で解決できる。またフリーソフトが充実している。
6.Flashが使えないとそもそも見れない作りのサイトが多い vs HTML5で解決すると言われている
実際、今年の夏、海に旅行に行くとした場合、上記の優位点をてんびんに掛けてどちらかを持って行く必要に迫られたとする。実際2台もって行く程、荷物に余裕はない、デジカメやダイビング機材など20Kgは軽く超える。700gは誤差程度だが、手荷物になるとやはり重く感じるだろう。その時、さてどちらを持つかと言われれば、有無を言わず。私の答えはノートPCである。
旅行の最中にビジネスツールが必要なのかという疑問を持つ人もいるかもしれないが、個人でソフトウェアの仕事をしている以上、顧客からの問い合わせには、速やかに適切なアドバイスを送る必要がある。プログラム環境しかり、Webコンテンツしかり。イメージデータの処理においても旅先で撮った写真は必ずバックアップをする、PCのHDD内、USBメモリ2つに。ここは近々にiPad用のSD/USBアダプターがでるらしいので、解消出来る分野になるかもしれないが、フルサイズRAW画像で一気に10GB程度撮影して、取捨選択を行うとなるとノートPCの方が断然優位になる訳だ。しかもPhotoShopで補正したり加工したりするとなると、現時点でiPadでは厳しい。OnLineストレージっていう方法もあるのかもしれないが、そもそもネットの繋がらない地域へ行く事も多々ある。
大抵のノートPC終焉論者は、ライター系のお仕事かつシティ派の様子。そもそもモバイル環境に対する期待度に温度差がある。システム開発ガテン系の仕事かつ田舎派の私には、インターネットから切り離された状況で仕事場に近い環境を身に纏って於かなければならない使命を背をってしまっている。だから、ノートPCは手放せない。今後進化して、Panasonic-C1のような物になり、MacBookProとiPadが融合したような夢の機器がでれば、その時は是非使ってみたいと思う。

そしてもう一つ最初に上げた「Appleによる閉鎖性」これは、Appleにとって諸刃の剣だと確信している。AppStoreには全て検閲(審査)があり、Appleの意向に反した機能は黙殺される。現に今一番の弊害は、嫌がらせの様にFlashに対応していない。Open化に向かう市場ニーズに真っ向逆流を跳ね返し、続伸するAppleには勇姿すら感じるが、独善的である事は否めない。Flashを認めると、Appleが完全支配するコンテンツ流通の背骨がくだける事になるからだという事は、システム開発業界では周知の事実で、以前ジョブス氏が幾つか理由を上げていたが結局は言い訳にしか聞こえない。だが、Open界の旗手Google、Androidに乗り換えるかと言われれば、答えはNoである。理由は簡単、あまりにiPadのトータルなバランス、使いやすさが、乗り換える勇気を萎えさせる魅力がある。

今はこのがっぷり四つの状態でロックされているような閉塞感がある。株式時価総額でMSを超えたApple社、強者は常に寛大であればこそ尊敬される。王者となったからには、今までの挑戦者としての姿勢だけでは、残念な結果になってしまうと心配になる。Macが好きだからこそ声を大にして言いたい。Windowsの二の舞にならないで欲しい。

2010/05/29

iPad考:(1)美しさと革命性、その先

2010/5/28 日本でもiPadが発売された。午前中の報道番組では、2日前から店舗に並んでいる人もいるらしい。正に一時のドラクエやWindows95の再来かと思う様な状況がTVで流され続けている。
職業柄知っておかねば・・・と、言い訳しつつ、Apple Storeで予約購入をしていたので、昨日の14:00頃に着荷、直ぐに使い倒してみた。確かに美しく使い勝手もiPhoneに近い、数年前にはとても考えられない程の出来映えである。iPhoneには4点不満な部分もあるが(1.音楽プレーヤーとしては音が悪い、2.自動電源On/Offができない、3.カメラ機能が弱過ぎる、4.小さいので、タッチキーの押し間違いが多い)驚異的な衝撃を受けた。さてiPadや如何に。
正直言って、iPhone程の衝撃は感じなかった。iPhoneの問題点であったタッチキーは大きさのおかげで解消し、カメラは内蔵されていない。購入したのが非3Gモデルなので、GPSは内蔵されていない。この選択は、自分的に正解だったと思う。確かに地図に正確な自分の位置が記録される事は便利ではあるが、当初から持ち歩く気など全く想定していないので、まあ気にもならない。GPSの為だけに、キャリア会社に通信料金を貢いで700gもある板きれを持ち歩く事は行動パターンからしてあまりにコストパフォーマンスに劣る。
到着後特に問題もなく設定を行い、半日かけて色々とテストしてみた結果は、Twitterでマシンガンツィートしているのでそちらを参照して頂くとして、このガラス板の板きれに感じた事を少し記録して置こうと思う。
先ず、iPadに何を来たいするかによってその見方は全然変わってくると思うが、一番の主要機能として売りにしている電子書籍として考えてみた。ここに関しては既存の一般書籍/新聞/雑誌は完敗と言える。本としての重さを考えた場合iPadに電子辞書(国語と英和和英)を入れて、書籍アプリ上に容量の許す限り書籍を入れたら、軽トラックが必要になる。そんなに本を常に沢山持ち歩く必要のある人はまずいないが、ちょっと読み返してみたり、特に検索してみたり心に残る部分に栞を持って置きたい部分は多々あるので、大きい事は良い事だと思う。確かに出版業界に取ってはビジネスモデルが完全に崩壊するので相当危機感をもっていると感じる。
ならば、コンテンツ(内容)で勝負という頭に切替え、書籍物流を紙媒体から電子媒体に変更すれば、これは小さな革命になる、印刷/運搬/廃棄コスト、印税ロス。無駄が無くなり書籍流通業は、衰退していくのは必至。
実際、自分の家にある技術関連の書籍などは本当に全部電子かしてほしい程、欲しいものは内容だけである。
しかし、ここでもやはり、美術関連の本や装丁自体に格調を持たせた本は生き残ると思う。何故かというとそれは「色」にある、iPadで表現できる色は、1600万色1024*768ドットの点である。その為昔のフィルム写真から起こした印刷物には、勝てない。これは映画も同じで映画館で見る色の滑らかさはDVDでは決して追いつけない。元々表現できる色範囲が違うので薄っぺらく見えてしまうのである。
iPadの売りであるコンテンツのモーション機能などは、40年前に「動かす絵本」とか「飛び出す絵本」で実現されていたものが、ガラス板の先にあるLCD画面に変わっただけの話しで、懐かしささえ感じる。驚きはない。
日本語コンテンツが少ないのでこれから充実してくると思うが、日本製の雑誌系アプリのできは、酷いパワーポイントのプレゼンテーションを見せられているみたいだし、不必要に動画を入れたりと逆に邪魔に感じた。アニメ大国の本領発揮まではもう少し作り手のコンビネーションが必要だと思う。

総じて電子書籍としての機能には、二重丸を付けたい。
最近年のせいかと思ったのだが本の行を正確に追って行けない、同じ行を二回読んでるとか、読み飛ばしているとかそう言う状況、経験のある人も多いと思う。電子書籍は、とても整然と文字が並び、一見読みやすい。これは、普通の書籍も同じで、綺麗すぎるのである。昭和の40年代頃は、印刷は「活版印刷」、学校では「ガリ版+鉄筆+輪転機」この頃の古本を読むときはこの、不思議と読み違いが殆ど起きない。何故か考えてみたら、印刷の質が悪い事に気が付いた。文字の間隔に微妙な誤差があり、方眼紙にキッチリハマった文字ではなく、一部文字に欠けた文字や明らかに斜めに傾いていたりする。一種の「ゆらぎ」「カオス」な部分があり、その印象を恐らく一時記憶している為か、二重読みや飛ばしがない。
正味美しいとは程遠い。書籍は、読みやすくしようと努力した結果、綺麗になったけど読みにくくなってしまってないか?パラパラとプロジェクターに投影される、文章や図表。一見スマートだが情報流通は片道通行である、アドリブは想定していない。昔は、印刷と同じように、定規とテンプレートで手書きしたものを見ながら、模造紙に書きながらの説明をしていた。自戒してみる。どちらの手法が相手に伝わるのだろうか。

50歳にまた一歩近づいて漸く解ってきた。
 電子で情報交換する物=時間と共に忘却しても良い程度の物
 手書きで情報交換する物=心を込めて永久に残したい物
こんな使い分けをする様になった、字の上手下手はあまり関係ない。実際下手であるが恥ずかしがる事もない、これが個性だから。

2010/05/23

システム開発者の言い分

これは、自戒の念を込めての意見であるが、何でも全てコンピュータで処理したり印刷したりしようとしていませんか?
「システム開発者」として確かにパーフェクトに例外のない処理ができればそれは本当に理想的です。しかし、実際は必ず例外的な処理が発生しています。「システム開発者」はこの例外部分も一つの処理系として等価に扱います。そしてその例外を如何にして事前に洗い出し、実際に処理系として構築するか否かの判定を論理立てて決定する行程を要件定義と言います。
「システムが動かない」「システムが使えない」という問題が発生するのは、この要件定義段階で、主幹処理系と例外処理系を明確に分離し、顧客に納得して貰っていないケース、もしくは、例外処理系の為に、主幹処理系の使い勝手が徹底使いにくい。この2つに分類されます。
時に、これが「品質」と混ぜこぜになって収拾不能な状況になっていることが非常に多いです。

主幹処理系の上を流れるデータは、経験的に80-95%。その他は、例外的に自動化できないような条件下にある場合が殆どで、ここは、やはり人間が判断し、手でデータを生成する方が実際に早いのです。
5万人のデータから特定の人を抽出する。こんな場合は、主幹処理系でデータ抽出条件として名前や生年月日など主な項目を選択し、郵送タグシールを発行するという機能であれば、十分簡潔で高速に使えます。しかし、ここに年賀状は送るっていたがお歳暮を去年貰った人で且つ今年取引が有った人を抽出し、お中元の名簿を作りたい、でも官庁関係は除去しないと駄目だからその条件も・・・と延々条件がありこれを全てシステムに載せて使うのは、お中元シールにしたい。官庁関係だけは、暑中見舞いの自動印刷にしたい、くれば可能ですが使う方が大変です。
実際5万人のデータの中で前年取引が、1000件程度、官庁関係の暑中見舞いはがき印刷の条件に当てはまるのは、数十名。こんな場合、現場で手で分別した方が早いのです。

私も年賀状の発行にパソコンを使います。しかし、発行枚数は、50-60枚。年に数回しか使わないインクジェットプリンターは大抵目詰まりしていたりして調整に数十分、インク切れだったりしたら翌日買いに行かなければなりません。データの内容が正しいか見て、テスト印刷。WindowsやOfficeのバージョンが変わってたりして微妙に変。レイアウト修正して再テスト。やっと印刷開始して待つ事、30-40分。実際は、この30-40分で、50-60枚の宛名書きは私には無理です。しかし、前行程の時間や準備も含めて考えれば、不可能ではない程の時間を浪費している。
これが、10毎位の時でもパソコンで無理にやって無いでしょうか?・・・やってました、恥ずかしながら。

何でもシステムに頼り切った結果、結局時間が掛かってしまっている。日本のホワイトカラーが生産性が低いと言われる所以は正にここにありと感じます。本流と例外を分別しないで標準で処理をする、例外があるならそこは少し手を動かせば解決すると判断できる決断力が必要なのだと思います。

半年に一回しか使わないようなものは、万単位のデータを処理しなければならない人間業ではできない事以外、システムに頼っては駄目なんです。正直、そのような要求をする人は大抵凄く仕事が出来る人で社内の信頼も厚い優秀な人が多いです。これは、非常に「システム開発者」にとっては有り難い事です。明確に機能を提供できるからです。しかし、この要求者がそのポジションから離れた場合、何の為に遣っているのか解らず延々負の遺産として爪痕を残してしまいます。

98%の壁という物が、システム開発にはあり、処理データの網羅の範囲、今まで出て来た主幹処理系として扱える範囲の限界点の一つの指標です。98から100までの2%を実現するには、98%を実現した倍のコストが必要とされます。逆に90-95%の範囲に止めるか100%にする為に例外を排除するかすれば、コストは75%程に押さえられます。

結論、コンピュータのシステムで処理するのは、90%処理できれば十分。後の1割は例外を除去するか、手を動かして作業すると割り切れば殆どの人に取って有益なシステムで安価なシステムになります。
デジタル情報万能時代になってしまってますから、「何でもシステムで何とかしよう」と思いがちですが、電気が無ければ只の鉄屑です。アナログな手書きメモや図画はどんな時でも明かりがあれば読めますし。ペンさえあれば、書けます。

2010/05/22

Twitterは利用者の増加について行けてない

このBlogからもリンクしている「Twitter」。利用者の増加について行けてないのではないかと思う。
Blogの追記よりもタイムリーに情報共用できる道具だが、最近頻繁にクジラの絵を見る事が多くなった。機械の故障やプロバイダーの問題では無い明らかにTwitterのサーバーの問題である。
インターネットの普及に伴って色々なサービスを職業柄関わる事が多いので、その感想からではあるが今のレベルでは、私達が作る様なアプリケーションとしては、完全に検品で受け入れを拒否される。
無料のサービスだから、文句を言う筋合いは無いがもう少し正常に動作しなければ、利用者は離れて行くように思う。検索サービスと同じで、Yahoo!/Google の様な適度なバランス関係に入るまで安定しないかもしれない。非常に残念ではあるが、折角利用者が増えて認知度も上がったのだから・・・
もしかするとビジネスモデルとして成り立っていないからかなぁとも思うが、もしTwitterが有料サービスでも使い続けたいと思う人はどれ程存在するのか、非常に興味のある所である。

私ならパスする。

リハビリ中です。

大阪から帰京し、仕事を再開したのですがGW休暇中体調不良で、ほぼ寝たきりになっておりました。帰郷する前の鉄人モードがまるで砂上の楼閣の様にボロボロと崩れるかの様に、異様な腹痛にGWの連休期間耐え凌ぎ検査を行ったところ大腸炎と急性膵炎を併発していたらしく、ちょっと冗談無しで危機的な状況でした。
入院も勧められたのですが何かと不便で、正直入院した人の見舞いに行った経験からレースカーテン一枚隔てて夜を迎えるのが精神に耐えられないなぁと感じていたので、自宅療養で絶対安静と絶食の道を選択し、やっと動き回れるようになりました。途中まで遣っていた仕事は、方々に迷惑を掛けながら辞退し、リハビリに専念する事にしました。

蒸気機関車は、暴走すると炉心停止装置として、水タンクの底に鉛で栓がしてあります。ボイラーの熱が上昇し過ぎて事故になる前に、熱で鉛が解け石炭の燃える炉の上の水タンクが自動消火する仕掛けが入っているそうです。
自分にも同じような、緊急停止装置のような構造が組み込まれているのでしょう。3月のクライシスハイとは180度逆の弱体ぶりで、自分でも笑ってしまいそうな落差です。

体は養生すれば、何なと回復すると思いますが、仕事を途中退場してしまった事は、何と言ったら良いのか「社会人・人間として失格してるな、俺って」思ってしまい。自分の存在価値を自分で否定し、その観念が抜けません。戦場で仲間を見殺しにしてしまった兵士などに近い感情が心の底にタールのような感じでへばり付いてしまいました。
これは、裏切ってしまった信頼、一生消えない傷。
心のリハビリって可能なのかどうか解りませんが、少し生きるスピードを落として解決していくしかなさそうです。

忙しさ理由に、ブログでの情報発信できていませんでしたので、数ヶ月「世捨て人」になった事ですから日頃思う事や社会の本流から外れた視線で見る現在について思うところを徒然に書き込んで行きたいと思います。

でも、三日坊主だからな、ちょっと心配。

2010/04/29

お会いしてくれた方皆さんに感謝&平城京

4/22-27の期間、大阪の実家に帰った時、関西各地から同期の友が集まってくれました。忙しいなか本当にありがとうございます。時間の合間をぬって面会して頂いた先生にも感謝です。

4/27の帰路に就くまでの数時間、「平城京遷都1300年祭」をやっている奈良に立ち寄りました。再建された平城宮太極殿と朱雀門の間がメイン会場で、復元された遣唐使船などもあります。
太極殿は、創建当時の彩色で再現され、内部には玉座と大屋根の鴟尾(しび)が展示されているだけですが、とても美しいです。特に、天井絵巻と殿外周の色玉にまで配慮された手の込んだ仕事は、一見の価値があります。鴟尾など多くの金塗装と表現していいと思うのですが、その工程まで解説してある資料館は無料で入館できます。「金塗装」は、砂金を一旦「水銀」に解いてアマルガムにしてから、刷毛で塗り火を近づけて熱で水銀を蒸発させる。水銀中毒になりそうな工程ですが、考えた人はかなり凄いなぁと関心です。また、奈良時代、当時から玉としてガラスが製造されていたりした様子や、宮中の再現された食卓には、すでに色ガラスのグラスがあった事等、初めて知った事が沢山ありました。
会場では、多分有料なのだと思うのですが奈良時代の衣装を貸してくれるところがあります。男性は見かけませんでしたが若い女性が何人か見かけ何とも雅な感じです。いわゆるコスプレですが、中々趣向をこらして良いアイデアだと関心です。
一通り巡るには、4-5時間といった感じだと思います。スムーズに動けて半日は楽しめそうです。

朱雀門の会場淵を後にして、南下する事、徒歩20分程で、唐招提寺に再度行ってみました。私は、多分ここが奈良の中で一番好きな所かもしれません。華美ではなく荘厳という表現がぴたりと合う場所で、森に囲まれた境内は決して広い訳ではないのですが、とても落ち着くところです。今回は春。白藤の香りが漂い鶯(ウグイス)の鳴き声が響く庭は、その木漏れ日の中に居て時を忘れます。

帰路は伊丹から空路で東京行きなのですが、近鉄上本町からリムジンバスが出ているので、とても時間的に近いです。
そして帰宅してから気が付いた事がいくつか。「関西地区での宣伝の少なさ」です。東京では、各TVの情報番組などでも紹介されていたりするのですが、大阪に居たときには、殆どその宣伝に相当する情報番組などでの取り上げを見かけませんでした。大阪梅田近辺では、ガイド誌やパンフレットも置いていません。
灯台下暗し、私もそうでしたが子供の頃、関西にいる時は「当たり前にそこにある」事には、あまり関心が行かないのかもしれません。
関西在住の皆さん、関西の魅力ってとてつもなく沢山ありますよ。是非、GW奈良や京都へ電車と徒歩で近場の再発見をしてみては如何でしょうか?

2010/03/17

クライシスハイ/無敵体質

今年になってから、仕事が怒濤の忙しさになってます。完全にクライシス(危機)モードのスイッチが入って、体が無敵状態です。風邪(インフルエンザ)も全く移らず、年末に起こした頸椎椎間板ヘルニアの激痛も霧の様に晴れ、いつも発症する花粉症の辛い症状も起らない。脳内にエンドルフィンがドバドバ出ているのかもしれません。一種の「ハイ」な状態なんだと思います。
こういう時って、後が怖いんです。ふっと気を抜いた瞬間に体調が崩れ倒れこんでしまう。4/22-25、大阪に帰郷するのですがその時が心配です。折角帰っても寝込んでいたのでは、話にならない。危機的状況は好ましくないが、緊張の糸が切れるのも困る、なかなか上手く行かないです。