2010/05/29

iPad考:(1)美しさと革命性、その先

2010/5/28 日本でもiPadが発売された。午前中の報道番組では、2日前から店舗に並んでいる人もいるらしい。正に一時のドラクエやWindows95の再来かと思う様な状況がTVで流され続けている。
職業柄知っておかねば・・・と、言い訳しつつ、Apple Storeで予約購入をしていたので、昨日の14:00頃に着荷、直ぐに使い倒してみた。確かに美しく使い勝手もiPhoneに近い、数年前にはとても考えられない程の出来映えである。iPhoneには4点不満な部分もあるが(1.音楽プレーヤーとしては音が悪い、2.自動電源On/Offができない、3.カメラ機能が弱過ぎる、4.小さいので、タッチキーの押し間違いが多い)驚異的な衝撃を受けた。さてiPadや如何に。
正直言って、iPhone程の衝撃は感じなかった。iPhoneの問題点であったタッチキーは大きさのおかげで解消し、カメラは内蔵されていない。購入したのが非3Gモデルなので、GPSは内蔵されていない。この選択は、自分的に正解だったと思う。確かに地図に正確な自分の位置が記録される事は便利ではあるが、当初から持ち歩く気など全く想定していないので、まあ気にもならない。GPSの為だけに、キャリア会社に通信料金を貢いで700gもある板きれを持ち歩く事は行動パターンからしてあまりにコストパフォーマンスに劣る。
到着後特に問題もなく設定を行い、半日かけて色々とテストしてみた結果は、Twitterでマシンガンツィートしているのでそちらを参照して頂くとして、このガラス板の板きれに感じた事を少し記録して置こうと思う。
先ず、iPadに何を来たいするかによってその見方は全然変わってくると思うが、一番の主要機能として売りにしている電子書籍として考えてみた。ここに関しては既存の一般書籍/新聞/雑誌は完敗と言える。本としての重さを考えた場合iPadに電子辞書(国語と英和和英)を入れて、書籍アプリ上に容量の許す限り書籍を入れたら、軽トラックが必要になる。そんなに本を常に沢山持ち歩く必要のある人はまずいないが、ちょっと読み返してみたり、特に検索してみたり心に残る部分に栞を持って置きたい部分は多々あるので、大きい事は良い事だと思う。確かに出版業界に取ってはビジネスモデルが完全に崩壊するので相当危機感をもっていると感じる。
ならば、コンテンツ(内容)で勝負という頭に切替え、書籍物流を紙媒体から電子媒体に変更すれば、これは小さな革命になる、印刷/運搬/廃棄コスト、印税ロス。無駄が無くなり書籍流通業は、衰退していくのは必至。
実際、自分の家にある技術関連の書籍などは本当に全部電子かしてほしい程、欲しいものは内容だけである。
しかし、ここでもやはり、美術関連の本や装丁自体に格調を持たせた本は生き残ると思う。何故かというとそれは「色」にある、iPadで表現できる色は、1600万色1024*768ドットの点である。その為昔のフィルム写真から起こした印刷物には、勝てない。これは映画も同じで映画館で見る色の滑らかさはDVDでは決して追いつけない。元々表現できる色範囲が違うので薄っぺらく見えてしまうのである。
iPadの売りであるコンテンツのモーション機能などは、40年前に「動かす絵本」とか「飛び出す絵本」で実現されていたものが、ガラス板の先にあるLCD画面に変わっただけの話しで、懐かしささえ感じる。驚きはない。
日本語コンテンツが少ないのでこれから充実してくると思うが、日本製の雑誌系アプリのできは、酷いパワーポイントのプレゼンテーションを見せられているみたいだし、不必要に動画を入れたりと逆に邪魔に感じた。アニメ大国の本領発揮まではもう少し作り手のコンビネーションが必要だと思う。

総じて電子書籍としての機能には、二重丸を付けたい。
最近年のせいかと思ったのだが本の行を正確に追って行けない、同じ行を二回読んでるとか、読み飛ばしているとかそう言う状況、経験のある人も多いと思う。電子書籍は、とても整然と文字が並び、一見読みやすい。これは、普通の書籍も同じで、綺麗すぎるのである。昭和の40年代頃は、印刷は「活版印刷」、学校では「ガリ版+鉄筆+輪転機」この頃の古本を読むときはこの、不思議と読み違いが殆ど起きない。何故か考えてみたら、印刷の質が悪い事に気が付いた。文字の間隔に微妙な誤差があり、方眼紙にキッチリハマった文字ではなく、一部文字に欠けた文字や明らかに斜めに傾いていたりする。一種の「ゆらぎ」「カオス」な部分があり、その印象を恐らく一時記憶している為か、二重読みや飛ばしがない。
正味美しいとは程遠い。書籍は、読みやすくしようと努力した結果、綺麗になったけど読みにくくなってしまってないか?パラパラとプロジェクターに投影される、文章や図表。一見スマートだが情報流通は片道通行である、アドリブは想定していない。昔は、印刷と同じように、定規とテンプレートで手書きしたものを見ながら、模造紙に書きながらの説明をしていた。自戒してみる。どちらの手法が相手に伝わるのだろうか。

50歳にまた一歩近づいて漸く解ってきた。
 電子で情報交換する物=時間と共に忘却しても良い程度の物
 手書きで情報交換する物=心を込めて永久に残したい物
こんな使い分けをする様になった、字の上手下手はあまり関係ない。実際下手であるが恥ずかしがる事もない、これが個性だから。

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